高野聖(こうやひじり)

今更ですが、実は、私はキリスト教徒です。



しかし、キリスト教徒であると同時に、日本人です。
日本人にとって、神道と仏教は、昔から、もはや宗教ではありませんでした。宗教の域を超え、日本人としての証し、若しくは、生活の一部、生活の知恵であると言えます。

ですから、一部の方々からご批判を受けようとも、私はキリスト教徒でありながら、神道と仏教を勉強しています。



市川覚峯(かくほう)先生に、初めてお目にかかった日、先生に言われました。
「あんたは高野聖だな」
「あなたのお祖父さんが、なぜその名前(小林一聖)をつけたのか、意味を考えてみなさい」



許されるならば、私はお彼岸とお盆にはお墓参りをし、クリスマスにはクリスマスを祝い、バレンタインにはバレンティヌスさんを想いたいのです。ある意味で、日本人的だとは思いませんか。そして、たまにはもう一度、自分につけられた名前の意味を考えて考えてみませんか。
※ちなみに私の祖父は、いつも冗談ばかり言っているクリスチャンでした。

弘法大師空海、弟子の教え